映画『ブータン 山の教室』: 幸せの起源としての「品格」

 

今回ご紹介するのは、2019年のブータン映画『ブータン 山の教室』です。第94回アカデミー賞の国際長編映画賞にもノミネートされた、心温まる名作です。

 

 

「何もない」と思われる場所への赴任

 

主人公の青年ウゲンは、教師でありながら、ミュージシャンとしてオーストラリアへ留学することを夢見ています。ブータンの首都ティンプーで働いていましたが、意欲が低く勤務態度も不真面目だったため、任期最後の1年をヒマラヤのこれ以上無いと思われるくらいの僻地、標高4,800メートルにあるルナナ村で過ごすよう命じられます。

当初、ウゲンは電気も教科書も、黒板さえないこの村の過酷な環境に絶望し、すぐにでも帰りたいと村長に訴えました。しかし翌朝、キラキラとした瞳をした子供に「授業ですよ」と誘われ、教室を訪れます。以来、彼は子供たちや村の人々と交流し、共同体の真髄に触れる中で、人生において本当に大切なものに気づいていくのです。

 

 

ヤクを「共同体の一員」とみなす心

 

ルナナ村の暮らしには、私たち現代人が忘れかけている深い精神性が息づいています。その象徴が、重い荷物を運んでくれるヤク(高地に生息するウシ科の家畜)との関係です。村人たちはヤクを単なる「道具」や「利用するもの」とは考えません。人間と同等の存在として敬い、感謝を込めて「共同体の大切な一員」として扱います。

最初はヤクの乾燥フンを燃料にすることに驚いていたウゲンも、それがこの上なく効率的で美しく、心地よく燃えるものであることを、身をもって知ることになります。

 

 

幸せの起源と「品格」

 

ルナナの村人や子供たちは、とても「品格」のある人々です。他者とのつながりを重んじ、万物に感謝を捧げる。そんな彼らのありようにこそ、幸せの起源が垣間見えるのではないでしょうか。

彼らはヤクという存在を通じて、日常の営みを「神聖な生」にまで高めています。「他者のために生きる」ことと「自分のために生きる」こと、そして「自然」や「感謝」。これら日常の中ではバラバラに捉えがちな諸要素が、ここでは一つに統合されていきます。さらにそれらが「万物として統合される方向」に向かい、それを包括的な視点から俯瞰するとき、私たちはそこに一つの美しい調和を見出します。「品格」とは、まさにそうした統合された境地の近くにあるものなのだなぁ、と思わされるのです。

 

 

私は特定の宗教に対する信仰を持っているわけではありませんが、人間の生き方の根源、あるいはこころが真に回復していくヒントを、このような美しい調和の中に見出すことができるように思いました。

 

当初は「何もない」場所だと思われたのですが、逆に現代の豊かな生活の方が空虚で味気ないふうに感じられる、という衝撃的なほどの逆転が見られるのでした。

 

ここには、アドラー心理学のいう「共同体感覚」やフランクルの「ロゴセラピー」にもダイレクトに通じるものがあるようです。